斎藤一人さん 道
一世紀 100年
剣道とか茶道とか華道とか何でも“道”ってありますよね。人生においては選択の連続で、皆さんそれぞれの道を歩んでます。仮に道は誤って進んでしまってもいいんです。遠回りしたとしても目標がしっかりとした場所であれば、大丈夫です。
私はここ2年間に至って、とても信心深くなりました。それも道です。宗教活動はしていません。ただ私の家は浄土真宗東本願寺派という先祖から伝わっているお寺だけですから、そのお努めはしております。神社に通う癖もつきました。
そして神様が自分の心の中にいる事を信じています。お天道様から神様がお守りになられています。
たまに仏壇の前に正座をして般若心経を読みます。
やはり言霊が効果あるんですね。声に出してお経を読み終わった後は身も心も頭もスッキリします。
人生は修行です。皆さん100歳目指して頑張りましょう!
私はガンダムのモビルスーツ百式が大好きなんですが、製作に当たり型式名を付ける際、Dr.ナガノ博士(永野護氏)が「100年使えるモビルスーツ」を願って命名されました。100年後も金色で美しいモビルスーツ、素晴らしい。
100歳、100回、100年、一世紀で一区切りですよね。だから何でも100回続けてやってみる!とか様々な事に決め事をつけて実行すると実になると思います。
汚れた石も100回磨けばピカピカに光ると思います。
道の話
先程言った通り、何でもその人それぞれの道はあります。武術や技術だけの話ではなくて、仏様の道もあるということです。自分が仏様に向かって行く道で魂的な話であります。
ここでは魂がどんどん成長していく過程を「道」といいます。
剣道なんかも始める時に礼をしてから、礼で終わります。しっかり挨拶をする。それが人としての道なんですよということです。
勝っても負けても「礼」をする。この人がいたから自分の強さが分かったんだ、この人がいるから自分は成長出来たんだ、この人がいたから自分の弱さが分かったんだということで、お相手様に「ありがとうございました」って挨拶することが道なんだよね、ってことです。
これから書く「道」は人としての最低限のルールとマナーの話です。
人からご馳走になる時によく「いただきます」も言わずにがっついて食べるに食べて、食べ終わっても「ごちそうさま」を言わない人がいる。
ご馳走になったら「ごちそうさま」頂く時には「いただきます」っていうのが礼なんですよね。
「いや、今日はたまたま言うの忘れてた」とか言う人いるけど、そういう人はまずどこでも言ってないと思います。
あと「ぼくそういうこと言うの恥ずかしいんです」とか恥ずかしいから言わないとかじゃなくて、ご馳走になったら「ごちそうさまでした。」っていうのが当たり前なんだよってことなんです。礼儀作法なんですよ。
これはお金払って外食する時もそう。「俺は金払ってるから、ごちそうさま言わなくていいんだ」とか、あんた今食べてるの、それ野菜でも肉でも作ってくれる人がいるんだよって。魚でも捕ってくれる人がいる。そしてそれを市場で売る人がいる、それを買って調理してくれる人がいて、それをテーブルに運んで来てくれる人がいるから初めて食べられる訳であって、ちゃんと感謝して、「ありがとうございます」って食べなってことです。
お金出すからいいんだ!じゃないんです。じゃ、お札や硬貨食べてお腹いっぱいになってればいいじゃん。
親にも挨拶出来ない。朝出勤したら「おはようございます」帰る時は「お先に失礼します」って挨拶が出来ない人がいる。
それが人の【道】なんですよ。大半の人は出来ると思いますが世の中にはどうしても出来ない人がいる。出来ない人はそんなんだから「あんた社会生活、人間関係うまくいかないだよ」ってことです。
それが人間のルールとマナーなんです。
挨拶は愛なんですよ。
自分のやることしっかり考えて日常生活を送る。
「郷に入っては郷に従え」って言葉は、精神論者としての最低限のルールなんです。
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