機動戦士Zガンダム 第9話 新しい絆
最近仕事をしていて分かったことがある。
それは、“一生懸命になり過ぎると周りが見えなくなることがある”ということだ。
焦っているわけではない。ただ良い仕事をしようと思いながら一生懸命に働いていたら、周囲から見ると俺は焦っているようにしか見えないというのだ。
自惚れではないが、自分は仕事は出来るほうであると思っている。
でも客観的に振り返ると、やはり周りとのコミュニケーションが取れなくなる程の状況にあったと反省をしている。
その時、Zガンダム 第9話での主人公 カミーユ・ビダンの感情の爆発を思い出した。
カミーユはグリーン・ノア 1からガンダムマークⅡで宇宙に飛び出して、未経験のことばかりを懸命にこなして来た。
その間にカミーユは自身の感情が増幅し、アーガマがここまで来れたのは自分が居たからだろうと感じていた。
周りから見ればただの慢心でしかない。
それは突然少年である自分の運命を大きく変え、重要な判断を決めさせた大人たちのせいだとも思っていた。
宇宙空間へ飛び出すことを決断し、自分が原因で母を殺され、父が死に、慣れないモビルスーツを操縦し、歴戦の戦士ライラ・ミラ・ライラを撃墜。
それはカミーユがセンスの塊だったと言っても良い。
かと言ってカミーユにはパイロットになる本気さもなく、ただアーガマに帯同し、いよいよ軍の言いなりにならなければならなくなったところで今回の第9話のカミーユがウォン・リーに対して修正を受けて、月の作戦に参加へするという回である。
カミーユのしたかったこととは?
当初はティターンズが大嫌いということだったが、自分がエゥーゴに入隊して、ティターンズを倒すという氣も無かった。つまり戦争に参加することなど考えてもみなかった。ただティターンズを嫌いな少年の心がマークⅡを動かし、先のことは深く考えずにシャアと行動を共にしただけのことである。
カミーユがエゥーゴにガンダムマークⅡを奪ったことがバレると、バスクはカミーユの父と母を人質にとった。
そういう見方だけで言えば父と母が殺されたのはカミーユ自身が動いたのが原因だが、カミーユを突き動かした要因の元は両親にある。
カミーユの父はティターンズのモビルスーツ設計技術者であり、母はティターンズの材料工学者だったからで、さらにその2人の夫婦仲は冷え、家庭はとても悪い環境にあったということだった。
つまり小さい家庭環境での出来事が、その後の大きな大戦、グリプス戦役に大きな影響を与えるまでに至ったのである。
ほんとに小さな氣づきやきっかけは大切にしたいものだ。
カミーユは自分が居なかったら今のアーガマはないと発言しているが、もっともな話しである。
大人側(組織)は子供(個人)に対して、子の言う通りだと素直に認めることは無い。大人が子供に助けてもらうという事実は大人が認めたくないことだから。
だからエマは大人側の立場からカミーユに言った。
エマ「今日まで生きて来られたのはあなたひとりの力だけではないのよ
カミーユ「僕の力があったからアーガマはここまで来られたんでしょ!」
エマ「その自惚れが今にあなたの命を落とすって分かっているから。ウォンさんはあなたを殴ったのよ」
しかしカミーユはただの子供ではないから飲み込みが早かった。大人の汚い部分を見て吸収していき、その怒りを敵との戦いにぶつけていったのである。
仮にカミーユがグラナダへ出撃しない場合でも、結局アンマンが襲われて、カクリコンの作戦に対してエマとカミーユがアーガマから出撃したのだけれど、グラナダの作戦にも行って、エマの危機を察知してグラナダから月の裏側アンマンへ救いに来るというおまけが付いた。
これはカミーユのすごさを増すエピソードではないかと思う。
だからカミーユがアーガマに存在することの大きさにまだ大人たちは氣づかないのである。氣づいていても氣づかないふりをしている。
カミーユからしたら、大人の都合で戦争に参加させられた子供の身にもなってくれよと叫びたいものである。
いつの時代も変わらず子供は大人達のゲームに参加され続けて、やがてその子供達も変わらぬ大人へと成長し、それはループする。
新しい絆を意味するものとは?
変化は突然訪れる。
それは人の死もそうだ。
また人の氣持ちや感情も日々変わるし、時代の流れもそう。
ただ時代の流れを一氣にひっくり返すというのはなかなか難しい。
時代の流れは変わらず、グリプス戦役終戦後は第一次ネオ・ジオン抗争へ突入する。
その後アムロとシャアが居なくなっても戦いは止まず、ガンダムの宇宙世紀時代の人々の争いは続くことになっている。
しかし個々の運命は大きく変えられた。それは死んでいった者たちとカミーユである。
カミーユが大きく変えられたグリプス戦役は約一年間という短い時間だった。その短い時間で精神をおかしくしてしまい、カミーユがカミーユじゃなくなってしまった。
カミーユは強力なニュータイプ能力を持つゆえに引き起こした、死者の魂に取り込まれて精神崩壊を招いた。
きっとオールドタイプも死者の魂に取り込まれると違う崩壊の仕方があるはずだ。
そして生きる者と死んだ者には切っても切れない「絆」が存在する。
さて、第9話のタイトル「新しい絆」とは一体何を意味するのか?
カクリコン強襲から救ったエマとの絆か?
それともグラナダの作戦を同行した尊敬する上官達、クワトロ大尉、アポリー、ロベルトとの絆か?
アーガマを救ったことでパイロットとして評価されたヘンケン艦長との絆か?
私はどれも違うと思う。
「絆」という意味を調べると、
きずな【絆・紲】
(1)家族・友人などの結びつきを,離れがたくつなぎとめているもの。ほだし。
(2)動物などをつなぎとめておく綱。
ほだし【絆し】
(1)刑具として用いる手かせや足かせ。
(2)人情にひかされて物事を行う妨げとなるもの。自由を束縛するもの。きずな。
ほだす【絆す】
(1)綱でつなぎとめる。縛る。
(2)人の自由を束縛する。
(広辞苑無料検索より)
しかも「ほだし」と打つと普通に「絆」の文字の変換予測が出る。
さて、「絆」の(1)には、家族・友人などの結びつきを,離れがたくつなぎとめているもの。ほだし。
「絆し・ほだし」と別に漢字の読みがあり、意味があるものの、「絆」にもほだしとある。
「絆し」の(2)には、人情にひかされて物事を行う妨げとなるもの。自由を束縛するもの。きずな。とある。
つまり「絆」の意味には「絆し」の意味も付け加えられていて、2つの違う意味がある。
この第9話のタイトルにつけられた「新しい絆」とは、カミーユが軍属に加えられる回であり、まさしくウォン・リーから修正を受けられて、エマからは打たれ、あれほどカミーユに甘かったクワトロからも冷たい言葉を投げかけられた。
この「絆」とは、まさに「カミーユの自由を束縛するもの」ではないだろうか?
カミーユは精神錯乱後、第一次ネオ・ジオン抗争の前半でアーガマを降り、治療を継続していくことになるのだが…
カミーユはニュータイプや強化人間との関わりもあったのだが、古いタイプの人間とも関わることで自分自身の魂の成長をさせてきた。
カミーユとミライはニュータイプだが、ニューホンコンではオールドタイプのベルトーチカとアムロを巡っての言い争いが絶えなかった。
やがてベルトーチカの中で何が起きたのかわからないが、「第37話 ダカールの日 」でカミーユとベルトーチカとの和解にオールドタイプの核心的な理解が見えた。
カミーユ「人って誤解を重ねて憎み合ったりしてしまうんですかね」
ベルトーチカ「違うね、先が見えてる人と見えてない人がいるってこと…一生懸命すぎると何も見えないときがあるってわかったのよ」
“一生懸命過ぎると何も見えない時がある。”
オールドタイプのベルトーチカが言うことだから尚更理解出来た台詞だった。
そのカミーユはベルトーチカが変わった理由をアムロに問いかけた。
カミーユ「でも、僕には戦う意味というのがまだわからないんです」
アムロ「意味は無いよ、戦い自体には。でも人間は戦い続けて歴史を作って来た。それがなければ人間は滅んでいたさ」
カミーユ「ベルトーチカさんが変わったのはそれを見つけたせいですか?」
アムロ「何故?」
カミーユ「ダカールに事前工作に行くなんて、前には考えられませんでしたもんね」
アムロ「オールドタイプなのさ、ちょっと前の痛みを忘れて次のことをやる」
カミーユ「人間っていつまでもそうでしょうかね」
アムロの言う通り、ちょっと前の痛みをすぐに忘れる日本人はまさにこのオールドタイプを具現するものである。
皆、今目覚めなければ「絆」で自由を縛られたままである。
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