病氣は存在しない

 「人間は一本の葦(あし)であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。 しかし、それは考える葦である」から。 人間とは孤独で弱い生き物だが、思考することができることは偉大であり、尊厳があると言い表したものである。


-ブレーズ・パスカル(1623年6月19日-1662年8月19日)-


仏(フランス)の思想家、数学者、自然哲学者、キリスト教神学者である。冒頭の言葉は『パンセ』彼の死後に遺族などが刊行した遺著である。『パンセ』は仏語のpanseの受動態pense'eで、ここでは「思考」や「思想」を意味する。



人は悩み考えると...


思想家の1人、ブレーズ・パスカルという人物を冒頭で挙げたましたが、ヨーロッパ人が世界において一番、哲学や思想、科学、文明が栄えていて白人は黄色人や黒人などと比べてより優秀であり、何もかもが素晴らしいとは私は全く思えない。


それは古代から欧州の地の権力者たちは野蛮だからである。肌の色が違うからと奴隷にし、人を人だと思わず家畜にし、残虐行為を働いていた。それは今も大してさほど変わらない。


それに比べて日本「大和」に暮らす我々の先祖は素晴らしいですね。それは農民などがお上に貢物や捧げ物をしていた時期もありましたが、日本書紀や古事記に記載されているのを読むと、全く西欧人(大陸人)などとは違う考え方をし、人を大切にし皆平和にほぼ平等に生きていたんですね。


要は我々は農耕民族で狩猟民族とは全く異なる文化を持っている、女性を大切にしてきた世界一唯一の歴史を作って来た民族が「日本」という国であります。


まず西欧人(大陸人)は女性を劣っていると差別的な扱いをしていましたね。女性を男は奴隷のように扱っていたんですよ。それは単に動物として男の方が体力があり、暴力的な行為は女性は男には敵わないということだけです。近年でようやく少しずつ変わりつつありそうですが、まだまだです。「レディファースト」ってありますよね、あれは女性を馬鹿にしている言葉なんです。


数々の有名な、哲学者、思想家など古代文明から生まれていったんですが、あらゆる哲学思想などを勉強し、考え耽っていると...気がつくと“悩んでいる”自分がいるんですね。まあ過去の偉人を辿ればみんな何かの宗教活動をしてたんですよ。それは元来哲学思想なんてものは、宗教へと派生していくものだからです。


この世の中は科学的な考え方が一番自然な理にかなっていて、「お釈迦様」(ブッダ)の教えは、紐解くと実は科学だったりするんですね。お釈迦様は宗教を禁止すると言ってた人なんですから。


ですからこの世に実体しないものや、あらゆる哲学思想などは非科学的な考えであって、まぁー多少暇な時に考えればいいなぁー。ぐらいなものであってそれほど人の人生において宗教とは重要なものでもないし、思い悩む必要は一切ないんですね。


宗教とは


哲学や思想を突き詰めていくと、同時に新たな宗教を生みます。完全な否定はしませんよ、宗教の自由がありますからね。しかし新興宗教なんてのは歴史からみても人が人を奴隷にしたりするものであって、間違った宗教は生み出さない方がいいし、信じたら不幸になるだけなんですね。


もし、皆さんが宗教を学ぶのだったら世界の三大宗教のどれか学んでいけばいいだけです。私は無宗教なんで、学ぶだけで宗教が人生のすべてだと考えていません。参考にしているだけです。


資本主義のこの現代は一番仏教が流行らない宗教です。だってすべての欲を捨てろ!って言ってるのに、日本の仏教の派生した宗教の偉い人ほど煩悩の塊でしょ。坊主(一部の)ほど、ベンツ乗ったり贅沢な食事したり、女抱いたり、金に執着した人間いませんからね。間違った仏教やってるじゃないですか(笑)(昨日のお祭りで坊さんがBMWのオープンカーに乗ってニヤニヤしてましたよー!)。


そして、その中で一番科学的な宗教が『原始仏教』なんです。今の日本における大乗仏教とは全然また違うんですが...まぁその話はおいておきましょう。今度説明したいと思います。


原始仏教を学んでいれば人は不幸になることはほとんどないと思いますよ(これから説明する仏教は原始仏教です)。仏教自体が元々ネガティブな教えなので。ネガティブの中にポジティブを生み出す最高な宗教ですね(笑)。不幸のドン底まで落ちたら、もう上がるだけです。


だから、たかだか「病氣」という「氣」で苦しんでいるならやめた方がいいですよ。人が生きる過程において避けられない事象ですからね。


仏教の教えに『一切皆苦』(いっさいかいく)とありますが、それは生きているだけで人は苦しいということなんですね。人は死ねば苦しみから解放されるというのが仏教ですから、キリストが苦しみを求める人に救いの手を差し伸べる。そして「永遠の命を与えよう」なんてなキリスト教とは全く価値観が違うんです。死んだら救われるのが仏教でなんですね。だから死は怖くないものなんです。


 その仏教の「苦しみ」の「苦」とは『すべては自分の思い通りにはなりませんよ』ということを意味します。人間はこの世に生命を受けたからには、ほかの動物と同じように生命活動をし、老いていき、病氣にもなり、寿命があるので最後には死にます。永遠の命などこの世に存在しません。これは避けられない現実です。道教や儒教などの影響もありますが、日本人が考えて生きていく中ですごくわかり易いのが実は仏教なんです。


そして「苦」を仏教では「生老病死」(しょうろうびょうし)とし、この逃れられない苦しみを「四苦」といいます。そして愛する人と別れなければいけない苦しみ、どんな嫌な人でも顔を会わせなければいけない苦しみ、求めても思い通りにいかない苦しみ、そして人としての精神と肉体から生まれる苦しみ、この四つを加え『四苦八苦』(しくはっく)といいます。どうですか、実に根本的普遍的な考えじゃないですか。


寂しくもあり、悲しい宗教だと思われるでしょうが、どの宗教でも共通するのは死生観、つまり生きることと死ぬことの定義化なんです。仏教は人は死ぬことで安らぎを迎えられるという教えなんです。だからといって仏教の通りの死生観は持たなくたっていいんです。人生色々、人それぞれですからね。


煩悩を持ったまま死ぬのもよし、欲はある程度必要ですからね。私の死生観は「覚悟」ですかね。ネガティブでありながら真はポジティブ、だから死をいつも覚悟してるってことです。


先々のことを考えたって意味がありません。一日一日必死に今現在のことに集中して、一所懸命頑張る!ってことです。


「昨日は雨(嫌な一日)だったけどもう過ぎたことだから、晴れだったこと(忘れること)にしよう!」と眠りにつき...。


...朝起きたら「あら!いやだ!今日も生きてた!ラッキー!」今日も晴れ(最高の一日)にして頑張ろう!って感じですかね。今日は休みだから一所懸命掃除しましたよ。


一休さんはご存知でしょう。


彼は仏教の教えにおいて生きていたのに、最後は四苦八苦して「死にとうない!」と苦しんで死なれました。どんな偉いお坊様でもこうなんですよ。日本の大乗仏教の坊さんなんて欲の塊なんです。私達はもっと気楽に生きればいいんです。お経読んで貰ったからって死んだ人が天国に行くこともなし、冠婚葬祭なんかしたって何か意味はあるんですか。仏教なのに教会で結婚式をやって、お正月にバレンタインデーにハロウィンですか...ブレブレじゃないですか。

それよりもっと一休さんを調べて反面教師にしよう!


一休さんの逸話を紹介しましょう。


一休さんを物凄く慕っていた子供がいたとな。その子は猫を虐めて殺そうとしていた。


 そこを通りかかった一休さんが、


「やめなさい、そのようなことをすると悪い因果(カルマ)を積み、次は人間に生まれてこられずに、そなたが死んだら猫に生まれ変わってしまうのだぞ」と説法を説いた。


するとその子は短刀を持ち、一休さんに襲いかかり殺そうとした。


「やめなさい!何故私を殺そうとするのか!」と一休さんが言った後、子供はこう答えた、


「だって一休さんみたいな徳の高いお坊さんに生まれ変わりたいんだもん」


と一休さんが子供に一本取られたというお話しです。


要は一休さんの方便だったってことです。



その他については勉強中...


キリスト教もカトリック、プロテスタント...様々な分派がありますが、聖書の教えを読んでみても分かる通り、簡単に書きますよ、まあだいたいお金を稼ぐのは良くないとか、色情は良くないとか、そんなことばかり書いてあるんですよ。そのくせ寄付しなきゃいけないだのとか矛盾してるんですよ。ローマ教皇だって色情の欲の塊じゃないですか。


近代の宗教ではイスラム教が新しいんですが、イスラム教はなかなかいい事書いてたりします。本来の意味である“クルアーン”の「ジハード」は「大切なものを守る行為」とあり、日本人の古き良き日本人の姿と考え方と似てますよ。キリスト教より、全然いいんじゃないですかね。


しかしイスラム教も元々ユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教からイスラム教が生まれているんで、元の神はヤハウェから来てるんで同じなんですよ。まあこんな事言ったらユダヤ教、キリスト教、イスラム教徒の人たちから怒られるかも知れませんがね(笑)。


やっぱり宗教によって人は救われるというのは間違いであり、自分の幸せを願うならば「人に対してどれだけ優しく幸せにしてあげられるか」が自分の幸福に繋がると思います。結局、宗教に傾倒してはいけないというのが私の結論です。


笑って暮らしましょう。


病氣とは「氣」である。元の「氣」である。

「氣」を変えれば病氣は消えてなくなります。


空元氣でもいいです。元氣な振りをしましょう!そしたら嘘も重ね続けていけば本当になるように、自然に元氣になります。だから元氣になるように、考え方を氣持ちを変えれば良いだけなんですよ。


簡単です。


「健康だなー!幸せだなー!」って何回も言って笑ってればいいんです。


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